大坂の漢詩を読んでいます

今年度の懐徳堂古典講座で「大坂の漢詩を読む」(江戸時代の作品を読むので「大坂」にしています)という講座を担当しています。全8回、主に近世後期の漢詩を取り上げる予定です。4月の初回は大阪の漢詩を読む意義についてお話し(伝わったかなあ)、生駒山人の漢詩を読みました。

 

古典なんかいらない、文学なんか何の役に立つのかと言われるいまどき、漢詩を読むという、役に立たないにも程がある講座を受けようという方々がおられることに感激し、感謝しております。

 

日本国中どこでも事情は同じだと思うのですが、大阪でも、地元の有名な古典文学は井原西鶴近松門左衛門上田秋成…といった和文脈に偏っています。漢文脈の作品が注目されることは少ない、というかほとんど知られていないのが現状です。

和文脈の古典に不満があるわけではありません。私とて大阪人、西鶴を読んではうまいなあと感心し、文楽近松を聞いて涙し、秋成の難儀さに惹きつけられています。この大阪の文学に、漢文脈の作品、漢詩を加えたいのです。

 

いや大阪を詠んだ漢詩が忘れ去られているのは忘れ去られるだけの理由があって、わざわざ掘り返すことはない、近松西鶴で十分間に合ってる、そう言われるかも知れません。しかし、近世後期の漢詩のスタイリッシュでハイブロウな雰囲気は、他の文学ではなかなか味わえません。そしてその雰囲気は、かつての大阪にも確かに存在したものなのです。

 

大阪人なら、現在の一般的な大阪のイメージに多かれ少なかれ不満があるのではないでしょうか(私は大いにあります!)。活気があり、庶民的な町。派手な衣服を好み、きさくで、悪くいえば品がない人たち……。メディアは大阪といえば戎橋筋あたりか通天閣周辺ばかり映し、料理はお好み焼きやたこ焼きのようなスナックばかり取り上げます。

 

現在のメディアを通じて描かれる大阪は一面的に過ぎ、本来の豊かなイメージが忘れ去られつつあります。知的で上品で垢抜けている大阪が、漢詩の世界にはあります。大阪を詠んだ漢詩を古典として復活させることは、本来の大阪の文化的なイメージを取り戻すことに繋がっていくと私は信じています。

 

 

馴染みのない漢詩というだけで埋もれてしまった大阪の詩人を再評価し、次の時代に歴史を繋いでいくことは、“役に立つ"ことだと私は考えています。

自分たちの住む地域の歴史や文化を学ぶことは、郷土を愛する心と誇りを育みます。総合学習の時間などを使って子供たちに地域の歴史と文化を知ってもらう際には、俳句(俳諧)や和歌などの和文脈と同様、漢詩も紹介して頂きたいと思います。

漢詩なら、万葉集の序文から「令和」という元号が作られたように、地域のネーミングに使える格調高い言葉を引き出すことができます。

また、増加している中国人観光客には、親しみを感じてもらえると同時に大阪の文化水準の高さを知ってもらえるでしょう。

 


入谷仙介先生は、かつて「漢文を扱う研究者は一人につき一人、埋もれた日本の詩人を取り上げてほしい。」とおっしゃいました。私は一人につき一人というノルマを達成したつもりですが、一人につき一人では足りないとも思っています。

この講座で、私は大阪の漢詩文化の種を蒔いていくつもりです。受講生の皆さんの中から、地域の埋もれた詩人を顕彰して下さる方、残された古文書から詩人を発見して下さる方、そのような方に協力を惜しまない方が現れることを願っています。

www.let.osaka-u.ac.jp

チラシです↓

http://www.let.osaka-u.ac.jp/kaitokudo/_upload/20190205-1425071.pdf