令和2年度懐徳堂古典講座「大坂の漢詩を読む」始まります→始まりませんでした

第1回目の講義から振り替えになってしまったのですが、今年も懐徳堂古典講座「大坂の漢詩を読む」を担当します。どうぞよろしくお願いします。

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この春は漢詩に挑戦してみませんか?

 新しい元号「令和」が発表されたとき、出典は万葉集だとされながらも、王羲之の「蘭亭序」や張衡の「帰田賦」の影響が指摘されました。また、新型肺炎武漢で広まったとき、日本から中国への支援物資に添えられた漢詩が話題になりました。漢詩の持つ力や日本文化に与えた影響を再認識された方も多いかと思います。
 これまで和文の古典に親しんできた方、この春は漢文の古典を読んでみませんか? 短歌や俳句などを嗜まれる方、言葉の引き出しに漢詩の世界を加えてみませんか?

なぜ漢詩なのか

 この講座で読むのは江戸時代の日本人が大坂を詠んだ漢詩です。江戸時代も後半になると、漢詩文で都市の繁栄がさかんに描かれるようになりました。京都や江戸と同じく、大坂の名所もこういった作品の中に取り上げられ、その個性や魅力が記されています。
 大坂の街を詠むのに、なぜわざわざ漢詩を選んだのでしょうか?
 漢詩漢文で書けば、中国人と当時の東アジアの知識人は読むことができたからです。鎖国という状況の下で、日本人はチャンスがあれば自分の作品を中国人に読んでもらいたいと切望していました。漢文は、日本人にとって世界に向けて書く文体だったのです。そこには自ずと、和歌や俳諧とは違った世界が広がっています。

スタイリッシュでハイブロウな大坂文化がここに

近世の大坂では、このような世界に向けた文体である漢文を読み書きする豊かな町人が中心となって、スタイリッシュでハイブロウな文化圏を形成していました。現在メディアを通じてステレオタイプに描かれるものとはまったく違う、知的で上品で垢抜けている大坂が、漢詩の世界にはあります。
 大坂の文学は近松西鶴で十分間に合っている、そう言われるかも知れません。しかし、大坂を詠んだ漢詩を古典として復活させることは、本来の大坂の文化的なイメージを取り戻すことに繋がっていくと私は信じています。

“推し”詩人は天才少年・田中金峰

 大坂を読んだ漢詩から、今年度は田中金峰の作品をとりあげます。わずか十九歳で亡くなった金峰少年の大坂を詠んだ漢詩は、『大阪繁昌詩』と題して父、田中華城によって文久三年に出版され、ベストセラーになりました。
 この講座では、当時の名所図会や地誌などを参照しながら、金峰の漢詩をじっくり読んでいきます。名所にはしばしば和歌や俳句が伝わっていますが、漢詩もそこに加えて、今では知る人も少なくなったこの天才少年を蘇らせたい、そして詩語で綴られた大坂の風景と豊かな文化を楽しんでいただきたいと思います。