近況報告

ご無沙汰しています。

2020年の幕開けは最悪なものでした。大晦日には例年と変わりなくお節料理を作っていたのに、元旦に高熱が出たのです。翌2日、フラフラの状態でなんとか救急医療センター的なところに辿りつき、インフルエンザと診断されました。

私は自分からは年賀状を出しておらず、三が日に届いたのを見て返事を書かせてもらっているのですが、それどころではなく、正月休みにするつもりのあれこれも滞ったまま、採点の祭典に突入しました。

そして新型コロナウイルスはやって来たのです。

4月になっても大学が始まらないと決まったとき、これは1年、もしかしたら2年は休校になると思いました。どうやって生活していこう? 非常勤先で給与がどうなるか連絡してきたところは、1校しかありませんでした。電話の向こうの声は力強く、全額支給することをお約束しますと言ってくれたので、私は涙が出そうになりました。前期1コマ14回分14万円ですが。

私は仕事関係のファイルをひっくり返し、各非常勤先が不開講のとき給与の何割を支給するかを確認し、天を仰ぎ、しばらく呆然としました。が、「風と共に去りぬ」のラストシーンのように立ち上がり、すごい勢いで暴落しつつある株を、まだ今ならマシ、と現金化しました。とりあえず数ヶ月はなんとか生きていける。そしていつ罹ってもいいように、ゼリー飲料やレトルト粥などを買い込みました。

あのニュートンは、ペストでケンブリッジ大学が休校になり故郷に帰っていた1年半に、主要な業績を成し遂げたといいます。私も新型コロナウイルスによる休校で「創造的休暇」を手に入れたのだ、と思いました。給料は出ないけど。

せっかくの「創造的休暇」が天から与えられたのです。私は本を書くことにしました。これまでも本を書いたらどうかという有り難いチャンスをいくつか頂いていたのに、授業をこなすだけで消耗して(今年も書けなかった…私は何という駄目な人間だ…)と自己嫌悪に陥るのを繰り返してきたのです。手始めにコラムの連載を、1冊の本になっても読めるよう手を加えてまとめました。次に、これは本ではありませんが、短歌の賞に応募するよう勧められていたので、連作を詠むのに挑戦して応募しました。

そしてそのあと、2冊目の本に取りかかろうとしたところで、休校という予想が外れて、遠隔授業をすることになったのです……。

遠隔授業をしていた日々のことは、記憶が鮮明なうちに改めて書こうと思っていますが、結論としては、もう無理、と思いました。今の非常勤のコマ数をこなしていくのは、対面授業でも遠隔授業でも無理、去年までは極限まで効率化して何とかあのコマ数を回していたのだということを身に沁みて感じました。もうこういう無理を続けていたら死ぬ。マジ死ぬ。

非常勤のコマ数を減らさないと本なんか書けないよと助言されていました。辞めて書かせるため旅館かどこかに軟禁しようかとも(冗談で)言われていました。私はこの年齢で原稿料や印税という博打みたいなものに収入を頼るのが不安で、確実に収入の保証された非常勤講師の職を手放せなかったのです。

しかし、今回のコロナ禍で、緊急事態に非常勤講師というものがどう扱われるかを身を以て体験し、非常勤講師の暮らしこそが博打だと気づいてしまいました(気づくの遅い)。

たとえ博打みたいでも、本を書く方がずっと人間らしく働ける。遠隔授業で必要な物品は自腹を切って購入し、食事とシャワー以外の起きている時間はほとんどずっと働いていたので、時給という点でも本を書いていた方が上でした。どんなに売れない本でも。もう迷いはないです。

というわけで最近の私のまとめです。

  • 授業期間中の張り詰めた気持ちが緩んだのか、しんどいです。とにかくしんどいです。寝たらそのまま死ぬかもと思って目をつぶるのが怖いくらいしんどいです。
  • 本を書いています。楽しくてにやにやしながら書いています。
  • 本を書く仕事が途絶えないでほしいなと思っています。
  • 短歌の連作は賞を頂きました。ありがとうございます。(これについても改めて書きます)
  • 懐徳堂講座で大阪の漢詩について話す機会がなくなったのが寂しいです。YouTubeとかツイキャスとかどうかなーと考えています。
  • 非常勤講師をいくつか辞めます。お世話になった方や学生さんのことを思うと申し訳なく、辛いですが、今のコマ数は自分にはもう無理で、減らさないと倒れたり死んだりしてよけいにご迷惑を掛けるだろうということがわかったので。

ではまた。次回は遠隔授業のことを書きます。