中村健史『雪を聴く 中世文学とその表現』

中村健史氏から『雪を聴く 中世文学とその表現』をご恵贈頂きました。

中村氏の研究に対する姿勢は、帯に記された「実証的研究の成果」の「実証的」に尽きます。京都大学日野龍夫先生は自分たちの研究に対する姿勢を「クソ実証主義」と仰っていましたが、私たち国文学の研究者は、特に関西の大学では、地べたを這うようにコツコツと用例を集め、作者の周辺を調べ倒す、そういう地味な、しかし堅実な研究方法をとる傾向があるように思います。

「クソ実証主義」の驥尾に付すわたくしも、演習(ゼミ)で1つの用例を探すために室町時代物語大成を泣きながら3度通読するような鍛えられ方をしてきました。ちなみにパソコンによる検索はおろか、索引も具わっていないものからこのように用例を探すことを我々は「地獄引き」と読んでいました。地獄引きせざるを得ない資料がいまよりずっと多かったのです。

地獄引きは旧時代の、時間がもったいない方法だと思われるかもしれませんが、索引やパソコンでの用例検索に勝る点が2つあります。1つは、作者が見た文脈に近い形で用例を見つけられることです。当然のことですが、作者はピンポイントの検索で語彙を身に付けたのではないからです。用例を、作者が見た文脈の中で見つけることは、その背景に繋がるヒントを得やすいと思います。

また、地獄引きを繰り返すうちになんとなく、用例のありかに鼻が利くようになったり、言葉のセンスが身に付いたりするような気がします。私はパソコンができることは徹底してパソコンにさせる方がいいと考えているので、データベースや検索ソフトの発展は大賛成なのですが、いまでも地獄引きを組み合わせています。自分の脳味噌に研究に不可欠の勘をインストールするには地獄引きしか方法がないからです。

 

中村氏が間違いなく「クソ実証主義」で地獄引きも厭わない方だということは、中世文学に疎い私にもわかります。「伏見院出典歌考」や「世阿弥本『弱法師』と阿那律説話」は漢籍や仏典を縦横に引用して出典を示し、出典による手堅い解釈を示されています。「花園院と「誡太子書」の世界」と「誡太子書箋釈」は、論文とその舞台裏を覗かせてくれるような楽しさがあります。

 

ここでは私の専門の近世漢詩を取りあげている「柏木如亭「即事」詩考」について見てみましょう。

童子を催呼して園蔬を剪らしめ

買ひ得たり重来晩市の魚

衡茆を掃取して客を迎へんと欲し

西窓静かに撿す挿花の書

柏木如亭のこの七言絶句の結句の「挿花の書」を揖斐高氏は「花を挿んである手紙」と注しているのですが、中村氏はこれは「立花の法をといた書物」であると説明するために、 如亭だけでなく江湖詩社の盟主市河寛斎と詩人たち、如亭の友人葛西因是やより若い世代の頼山陽梁川星巌の用例を示しています。怒濤の用例で「立花の法をといた書物」であると納得せざるを得ません。

ここは私も「立花の法をといた書物」説に賛成です。付け加えるなら、袁宏道の『瓶史』、李漁の『閑情偶寄』器玩部制度第1爐瓶にもともに「挿花」の用例があります。如亭の作品には『閑情偶寄』の影響が明らかですが、『瓶史』もおそらく読んでいたのではないかと私は考えています。

さて、中村氏はこの詩について

「即事」はもてなしの詩である。けれども、決して贅沢を求めるわけではない。如亭は「童子を催呼して園蔬を剪らしめ、買ひ得たり重来晩市の魚」、野菜と売れのこりの魚で料理を作ろう、とうたう。描かれるのはごく質素な食物である…

と記しておられますが、私は反対に、これは非常に贅沢なもてなしだと読みました。

というのも、承句の「買ひ得たり重来晩市の魚」は中村氏のいうような「売れのこりの魚」ではないと思うからです。

中村氏は「売れのこりの魚」という解釈の根拠として、市河寛斎の「山家歳暮」に「晩市の枯魚村店の酒、山家も亦た復た自ら春を迎ふ」の用例を挙げています。

「枯魚」は「魚」というより干物ですから、日持ちがします。売れ残りかどうかはこの用例からはわからないのではないでしょうか。

また、「晩市」については、市が一日中開かれていて終わりごろだから売れ残りと解釈されたのかも知れませんが、夕方に開かれる市ではないでしょうか。近代以前は朝市の他に夕市と呼ばれる市が開かれていましたから、一日漁をして夕方に売られる魚は、売れ残りではなく逆に新鮮だったのではないでしょうか。

さらに、起句の「童子を催呼して園蔬を剪らしめ」について、中村氏はあっさりと流しておられますが、承句と時間を空けず行われていたとすれば、客を招く直前に家庭菜園の野菜を収穫するというのも、新鮮さを求めるためではないでしょうか。先に挙げた『閑情偶寄』飲饌部蔬食第1では新鮮であることを最も重んじています。

私は何より江戸っ子は、いくら苦境にあったとしても、客を招くのに閉店間際のスーパーで値引きシールを貼られた魚を買うようなことはしないと思うのです。漁に出ていた船が帰ってきた頃に取れたての魚を買い、直前に野菜を収穫する。如亭はそういう新鮮さの極みで贅沢に客をもてなしたのだと思います。

中村氏は「いかにも文人らしいつつましやかな生活」と記しておられますが、この食における新鮮さの追求は、茶(おそらく煎茶)や挿花と同様に、明清の文人の生活スタイルをなぞった華やかなものであったと思います。

 

と、つい私もクソぶりを発揮してしまいましたが(用例を挙げるのは慎みました)、この、用例を積み上げて解釈していく実証主義が本著の縦糸だとすれば、緯糸は文学に対する愛でしょう(臭いことを言ってすみません)。

「花園院と「誡太子書」の世界」では最後の1文に「ここにはたしかに、文学と呼ぶべき何かがある。」とありますが、その他の論文にも、中村氏の文学に対する気持ちが滲み出ています。「この世に文学は必要か」はストレートにこのテーマで書かれていて、これからの文学研究者はこういうことについて考えて、発信していかなければならないのだなと思った次第です。