揖斐高『頼山陽――詩魂と史眼』は頼山陽に興味を持った人に、はじめの一冊として勧められる本だ。
これまでは、初めの一冊としては中村真一郎の『頼山陽とその時代(上)(下)』を勧めていた。言わずと知れた名著である。一時期は手に入れにくかったが、ちくま学芸文庫に収録され、Kindleもある。
しかし、『頼山陽とその時代』はかなりボリュームのある本なので、ちょっと興味を持ったという人に勧めるには気が引ける。せっかくの興味の芽を摘む虞がある。
また、出版当時と現代とでは感覚が違っている部分がある。『頼山陽とその時代』は山陽の若き日の出奔について、心の病に原因を求めた点が画期的であった。当時は心の病に対する話題がまだまだタブーであったが、それゆえの表現が現在の若い読者には違和感となるところがあると思う。
『頼山陽とその時代』が今でも読まれるべき名著であることは間違いないが、このような理由でもう少し読みやすい本がないかと長年思っていたのである。
ネット上では四季・コギト・詩集ホームぺージに本書について詳細に記されている。
shiki-cogito.net
これを読んだ瞬間、あ、もう私が書くことないわと思ったのだが、以下に覚え書きをメモ程度に記しておきたい。
本書は第Ⅰ部で山陽の生涯について、第Ⅱ部でその詩と学問について述べている。第Ⅰ部は晩年までで、死後については第Ⅲ部という構成になっている。
第Ⅰ部は新書のこの分量で山陽像を描ききっていて楽しい。一言で言うと難儀な人である。しかし才はあるしどこか憎めないため味方もできて、世間から切り捨てられない人柄。難儀なエピソードの数々は是非本書をお読みください。こういうタイプの男性に引っかかる女性は現在もいるが、そのあたりも是非本書をお読みください。
第Ⅱ部の詩については、入門書としては現代語訳もあった方がよかったと思う。歴史学については、このまま幕末まで長生きしていればどうなっていただろうと思いながら読んだ。
そして第Ⅲ部は情けないゴタゴタがあって読むのがつらい。
巻末には系図と略年譜、詳しい参考文献案内もあって、研究者にも役立つ。
広島藩の藩儒であり厳格な人柄で知られる父春水と、大坂の立売堀で裕福に育った明るい母梅颸という、相反する二人を両親に持つ山陽は、厳格な父とイタリア出身の芸術を愛する母を持つトーマス・マンの小説の主人公、トニオ・クレーゲルを思い起こさせる。父に対する複雑な思いと、母に対するストレートな思慕は山陽の生涯にわたって影響していると思う。
茶山の書翰の「年すでに三十一、すこし流行におくれたをのこ、廿(はたち)前後の人のさまに候。はやく年よれかしと存じ奉り候事に候」(22~23頁)というところ、山陽をよく捉えているのだろうなと面白い。「流行におくれた」というのは、ファッションに疎いというのではなく、世の中からズレているという意味だろう。
春水には藩の事業として史書を叙述したいという志があったが挫折した。山陽にはこのことに触れた書翰があり、本書では
『日本外史』とは別に、「中絶」した父の志を継いで、「編年の史」を「成就」したいという。山陽にとって『日本政記』の著述は挫折した父の志を継ぐ事業であり、迷惑をかけた父への償罪としての意味も有していたのである。(132頁)
と指摘する。
脱藩という罪を犯した山陽は、罪せられて死に値する立場である。にもかかわらず、幽閉ののち史書を記すことで再生を計った。本書には記されていないが、山陽は、宮刑という恥辱にまみれても、生きて父の遺言である史書を記すことを選んだ司馬遷を意識していたのではないだろうか。
難儀な人だが家計のことなど意外にしっかりと管理していたようで、稼いだ金は門人や知人に預けて運用させ、利息を得ていたという(64頁)。窮死した柏木如亭のことなどが影響しているのかもしれないし、大坂の母方の知恵かもしれない。お金はだいじである。
山陽の死後、妻梨影が書いた手紙の「此方主人事、人なみの人とはちがひ候ゆへ」「あのくらいな人をおつとにもち、其の所存なか/\でけぬ事と有りがたく存じ候」(247~248頁)というくだりなど心に染み、誰かを支える人生も、支える誰かによって充実するものだと教えられた。
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