揖斐高『江戸漢詩の情景――風雅と日常』

睡眠不足のぼーっとした頭で『雅俗』21号を読んでいると、「名著巡礼」で山本嘉孝氏が中村真一郎『江戸漢詩』を取り上げている中に私の名前が出てきて一瞬で目が覚めた。『江戸漢詩』は、大学卒業後ふつうにOL(死語…)になって3年くらい勤めて寿退職(死語…)しようっと ♪ などと思っていた私の進路を変えた本だ。そのことをあちこちでしゃべっていたので、ついにこういう目に遭ったのである。

これまで、江戸時代の漢詩に興味を持った人に勧める最初の1冊といえば中村真一郎『江戸漢詩』だった。1985年に「古典を読む」というシリーズで出版され、1998年には同時代ライブラリーに収録された。作品の魅力だけではなく、人間としての詩人たちが生き生きと描かれ、現在でも価値を失っていないと思う。

残念なのは同時代ライブラリーの方も絶版になってしまっていることだ。それでも興味のある人は手に入れるだろうけれど、長年、興味のない人にも届く本があればと思っていた。買いやすい値段の新書で、新しく書くなら、その書き手は……

本書はそういうイメージ通りの本だ。江戸漢詩そのものに興味はないが歴史や文学に興味がある読者が手に取りやすくなっている。京都を表す四字熟語、山紫水明について語るなら必読の「山紫水明」、凧の文化史といえそうな「凧の揚がる空」、林羅山石川丈山に倣って詩仙堂を営んでいたという「もう一つの詩仙堂」などなど、特に漢詩に興味がなくても読んでみたくなる内容で構成されている。

揖斐高氏と言えば江戸漢詩の中でも特に柏木如亭研究で知られているが、「西施乳と太真乳」では如亭の『詩本草』も取り上げている。言うまでもないが西施は越王勾践が呉王夫差に贈った女性、太真は楊貴妃のことである。河豚は一名「西施乳」といい、牡蠣は「太真乳」というが、本書は「太真乳」という艶称については如亭が新たに思いついたものではないかと述べている。

ここで学恩に報いるため1つ指摘しておくとすれば、「太真乳」という言葉は『閩小記』にある。如亭は『閩小記』を読んでいたのではないだろうか。

「西施舌」 畫家有神品、能品、逸品,閩中海錯,西施舌當列神品,蠣房能品,江瑤柱逸品。西施舌以色勝香勝,當並昌國海棠。礪房以豐姿,勝並牡丹。江瑤柱以冷逸,勝並梅。西施舌既西之舌之矣,礪房其太真之乳乎,圓真雞頭,嫩滑欲過塞上酥。江瑤柱產氵亟江,癖梅妃子亦生其地…

「礪房は其れ太真の乳」とある。『詩本草』もまた「西施乳」の他に「西施舌」「江瑶柱」を取り上げており、影響関係が窺える。

中村真一郎『江戸漢詩』は一般の人も楽しめる読み物であったと同時に、研究者にとって多くの論文のヒントに溢れていた。本書も同様に、江戸漢詩の研究者を刺激するヒントに溢れている。ひとまずどなたか、「太真乳」について調べてください……

古本はAmazonより日本の古本屋の方がマトモな値段のことが多いです。

www.kosho.or.jp

久しぶりに書簡を読む

コロナ渦で対面で集まりにくくなってから、活動が停止してしまっているものがいくつかある。その一つ混沌会 を先日2年ぶりにオンラインで再開することができた。まだまだ問題があり、不手際も多かったが、まずはここまでこぎ着けたことを喜びたい。

 

というわけで久しぶりに幕末から明治のものと思われる書簡を読んだので、よく使うサイトや本をまとめておきたい。

わざわざ書く必要もないと思いますが念のため。本ブログではAmazonアソシエイトを利用しています。現在のところ年に1000円ほどアマゾンから振り込まれていて、私のKindle代の一部になっています。ありがとうございます。新稲法子の懐に数十円でも入れたくないという方はお気を付けください。

 

『五體字類』

年配の先生方がよく持ってこられていた定番で、私も真似をして購入。日常生活でくずし字の手紙などを書く時にも便利(というかそれがこの本の本来の使い方だったのだろう)。

国立国会図書館デジタルコレクションにもある。

袖珍五体字類 - 国立国会図書館デジタルコレクション

AmazonではKindleバージョンも販売されている。通常500円を99円でセール中だそう(9月18日2時現在)。

長時間読むときは紙の方が疲れないのだが、デジタルでどこにいても見られるのは安心感がある。

 

『くずし字解読辞典』『くずし字用例辞典』

私たち世代はたいていこちらを持ってる。解読辞典は形から引くときに使い、用例辞典は当たりを付けて引くときに使っている。

最近はくずし字を検索するサイトが充実しているので、これらも有り難く活用させてもらっている。

wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp

 

codh.rois.ac.jp

みをは現在のところ得意不得意があるようで、すらすら読んでくれるときとサッパリのときがある。

codh.rois.ac.jp

今回、ずいぶん間が空いて書簡に独特の言い回しを忘れてしまっていたので、評判の良い『日本史を学ぶための古文書・古記録訓読法』を読んで復習した。用例は古代中世のものだが、近世の書簡にも共通するものが多い。演習問題が掲載されていて変体漢文を読む練習になる。教科書によさそう。

佃一輝『茶と日本人―二つの茶文化とこの国のかたち』

初めてお茶会に参加して文人茶の世界に触れたとき、これまで自分の愛して親しんできたものが1つに束ねられるような感覚があった。漢詩文の世界と書や文人画から、生活を彩るというよりもはや美術品の域にある食器や文房具、家具や花、料理や着物まで、バラバラに楽しんでいたすべてが、煎茶を通して見ると1つの世界として存在するのだった。

一般の人は茶と言えば佗茶の茶道をイメージすると思う。しかし、本書の副題にあるように茶文化は茶道と文人茶の2つで成り立っている。茶道の型を重んじる姿勢や権威主義を苦手とする人は(私の周りには)多いが、そういう人はぜひ自娯の茶である文人茶について知ってほしいと思う。本書の第3章は佗茶の茶事と文人茶の文会がどのように行われるのか、それぞれ対比して説明されている。実際に参加しているかのように詳しく書かれているが、欲を言えば挿絵や写真があれば詳しくない読者にもわかりやすいと思った。

茶道に関心のある読者の他にも、近世文学に興味のある向きには、茶道と文人茶の文脈で徂徠学と陽明学を取り上げているところや、老荘思想の流行、畸人という概念と茶の関係など、示唆に富む部分が多いと思う。

上田秋成『清風瑣言』の村瀬栲亭序には「点ずるは賢たり、煎ずるは聖たり」とある。点は抹茶、煎は煎茶であるから、それぞれ茶道、文人茶を指す。本書によれば、利休という権威を手本として稽古修行する茶道は、朱子学で聖人を目指す賢人に相当する。対して文人茶は陽明学でいう、人が皆生まれながら備えている聖人の資質を茶が覚醒するのだと説くところは、なるほどと思わせる。この陽明学的発想が商人の人格形成に自信を与え、知的な文人を輩出することに繋がったというくだりは、そういった町人の詩会や塾に煎茶があったことを想像させる。

一つ付け加えるなら、本書では指摘されていないが「点ずるは賢たり、煎ずるは聖たり」の「賢」「聖」には濁り酒を賢人、清酒を聖人という隠語のイメージもあるのではないだろうか。抹茶と煎茶の液体としての状態を酒に当てはめると、それぞれ濁り酒と清酒になるからである。

新型コロナウイルスに罹っていました

7月下旬に新型コロナウイルスに感染してしまいました。

  どこで感染したのか

オミクロン株は潜伏期間が2~3日らしいので、思い当たるのは祇園祭の日に京都で歌会に出席したことです。歌会そのものは会議室に数人で、非常勤講師の仕事よりもはるかに安全な状況でしたし、歌会前に食事をとったときも食べ終わるまで全員が一言も口を利かない完全な黙食でした。行きのバス、そして帰りの、バスの混雑を避けたつもりで歩いたら巻き込まれた人混みがまずかったのかと思います。祇園祭りの雰囲気の中を歩きたいという気持ちなど1ミリもなかったのに……。

もう1つ思い当たるのはトイレの使用です。コロナ禍以降、私は公衆トイレを使わないようにしていました。非常勤先の職員用トイレは使用している人が限られ、感染した人が使うことはまずないですが、公衆トイレはどういう人が使っているかわからないからです。しかし、この暑さで熱中症に罹るのも怖いので、水分摂取をためらわないようになり、公衆トイレも使うようになっていました。

  経過

高熱が出た18日月曜日は海の日で病院が休みでした。翌19日火曜日の朝一番に自治体から配布された発熱外来一覧にあった呼吸器外来に電話しました。しかし繋がりません。半時間くらい試してみて諦めて、徒歩で行けそうなもう1つの病院にかけたところ、繋がりました。空いている時間ならいつでもと予約して、診察を受けることができました。

あとで知ったのですが、予約がいっぱいでギリギリのタイミングだったようです。解熱剤くらいしか出せませんが……と言われましたが、その後すぐに解熱剤も不足しているという報道があったので、これもギリギリのタイミングだったのかもしれません。

発熱外来までタクシーやバスが使えないのは困ると思いました。さいわい歩いて10分ほどの病院で診てもらえましたが、それでも朦朧として倒れそうでした。これ以上歩かないといけない病院なら、諦めていたかもしれません。

3日間40度近い高熱が出て、その後は徐々に熱が上がらなくなっていきました。激しい咳も徐々に治まっていきました。最初に高熱がガツンとくるので、何も食べられず3キロ痩せました。食欲はまだ完全には元に戻っていません。

ずっと横になっていたので、人出のない夜に最寄りのポストまで往復するだけで疲れて、足腰が弱っているのがわかりました。後遺症にならないためには2ヶ月は無理しない方がいいということなので、ウォーキングやトランポリンはまだ再開していません。

自宅療養期間10日目から更に3日経った31日に電車に乗って、3時間ほどお茶会に参加しました。この日は3時間が限度という感じでした。さらに2日後の8月2日、教室試験のため府県をまたいで大学に出向きました。この日は事故でダイヤが乱れたこともあり、かなりキツくて翌日は寝倒しました。

後に書いていますが、なかなかすっきり治らないことの方がつらいです。発熱から20日以上経ってようやくだるさが薄れてきた感じです。

  仕事はどうしたか

火曜日と木曜日に最終授業をのこしていたのですが、休講にしました。1人Zoomでスライドを使ってしゃべったファイルを補講としてアップしましたが、声がかすれるのと咳が出るのとで、ちゃんとしゃべれるようになるまで時間がかかって困りました

水曜日と金曜日はリモート授業をしました。予定がタイトだったのと、この授業は対象の学生さんが看護師を目指すコースなので、これも何かの経験になるのではと考えたのが授業をした理由です。リピート授業2コマを合同授業1コマのZoomの授業にし、専任の先生が教室のパソコン画面をスクリーンに映してくださいました。大教室での合同授業でグループワークができなくなったのが残念で申し訳なかったです。授業をした午前中は熱があまり上がらない時間帯でしたが、1日に90分1コマが限界でした。

締め切りを遅れて待ってもらっていたコラムはiPhoneの音声入力を使って布団の中で粗々書き、熱が下がった時間帯にパソコンで修正しました。

困ったのは試験期間で試験問題を作ったり採点をしたりしなければならなかったことです。私はレポートも細かい採点基準を作って、自分に万一のことがあっても他の人が採点できるようにしているのですが、万一のことのうち、感染症の場合は誰かに家に来て採点してもらうことはできません。答案を郵送し合うのもリスクがありそうで躊躇われました。けっきょくなんとか間に合いましたが、こういう場合も含めて授業担当者が感染した場合どうすればいいか明文化されていたら助かると思いました。どうしたらいいか考えるのもしんどかったので。

この他、陽性判定が出てから2日後にリモート歌会、3日後にリモートの学会がありました。学会はぼーっと見ていたら司会を頼まれて慌てました。

  症状

症状については、オミクロン株の特徴といわれるものそのものでした。喉の痛みと激しい咳、高熱です。味覚や嗅覚の異常はありませんでした。ワクチンを接種していたおかげか、つらさとしてはインフルエンザと同じくらいでしたが、まともに罹ってもっとキツかったら死ぬかもなーと思いました。

インフルエンザと違うのはなかなか体調が回復しないことです。一番困るのはとにかく身体が怠いことです。1時間仕事をすると1時間横になってしまいます。微熱は最初の発熱から3週間くらい続きました。喉の痛みはなくなりましたが違和感は残っていて、ちょっとした拍子に咳が出ると止まらなくなって困っています。

また、知っているものが思い出せなかったり、読み飛ばしていたのか文章の内容が頭に入っていなかったりというミスをしてしまい、ブレインフォグというものだったら……と戦々恐々としています。

  公的なサポート

とにかく公的なサポートのないこと、しょぼいことに絶望させられます。自治体にもよるでしょうが、まったくないくらいの心づもりでいた方がいいと思います。

まず厚生労働省にイライラさせられます。陽性が確定してすぐに厚生労働省から下記のリンクが「療養中の方が関心の高い事項はこちらへ」というSMSで送られてきましたが、40度の熱を出して読むにはつらすぎました。「書類一式送っといたらええやろ」としか考えていないのではないでしょうか。私はいまではラブライブ!サンシャインを見るとイラッとするようになってしまいました。

www.mhlw.go.jp

お時間のある方は↑このリンクをクリックして見てもらいたいのだが、まずラブライブ!サンシャイン!!のイラストが現れ、「新型コロナウイルス感染予防のために 咳エチケットと手洗いをお願いします」というのが出てくる。「いやもう感染してるねん」と突っ込みながらスクロールすると、子供のマスクについてや熱中症についての記事が延々と続く。

こういうものこそ「自宅療養あと何日?」「パルスオキシメーターの数字が93」などと入力したら答えてくれるチャットボットのようなものがあればいいのにと思いました。通販のサイトでは普通にあるぞー

厚生労働省はこの他COCOAに登録しろとも言ってきますが、40度近く熱が出ている状態ではスマホの画面もおぼろげにしか見えなくてつらいです。

その後は保健所から、厚生労働省が提供しているMyHER-SYSに体温と酸素飽和度などを入力しろというSMSが毎日届きます。酸素飽和度を測るパルスオキシメーターも届いてないのにどうすれば……という気持ちになります。私は中国の通販サイトで買っておいた300円くらいのを使いましたが。

食料や生活雑貨もけっきょく届きませんでした。「私は国保月7万以上払ってるねんで!」と暴れたくなりますがもちろんそんな力は出ません。以前からLOHACOを利用しているので困りませんでしたが、絶対にこっそり買い物に出ている人はいると思います。

厚生労働省、保健所とは別に県の看護協会からも健康観察アプリに入力するようSMSが届きました。こちらは心配なことがあれば電話をというメッセージと電話番号があり、初手から好感度が高いです。アプリに心配事を書き込んだだけでもマメに電話を頂いて安心しました

ただ、MyHER-SYSとこのアプリと2つに入力しないといけないのと、MyHER-SYSと違ってIDとパスワードを毎回入力しなければならないのが面倒でした。後者はスマホの設定の関係かと思いましたが、そういうのを考えていじるのもしんどくてそのままです。

  最後に

ただでさえ万事進捗が遅れに遅れているのに、今回伏せっていたこととだらだら続く怠さで(後遺症でないことを祈る……)新しいことをする余裕は1ミリもなくなりました。もうこれで免疫がついたぞ、怖い物なしや!と思っていましたが、何度でも罹るそうです。できればもう二度と罹りたくない。

阪大短歌会(大阪大学短歌会)のこと

若い人の間で短歌がブームだそうで、あちこちの大学に大学短歌会が生まれている。大阪大学阪大短歌会(大阪大学短歌会)について私の知っていることを書いておこうと思う。
 
 
2015年に「革靴とスニーカー」で角川短歌賞を受賞した鈴木加成太氏は大阪大学短歌会の会員だ。
 
公式サイトによると大阪大学短歌会は2010年12月に発足したということだが、実は“大阪大学短歌会”は近年できたものではなく、古い歴史がある。現在の大阪大学短歌会は、かつて大阪大学短歌会が存在したことを知らない人たちによって創設されたのである(確認済み)。
とはいえ、私も大阪大学短歌会(以下「短歌会」)がいつ創設されたのかなど、詳しい経緯は知らない。この記事は自分の覚え書きであるが、どなたかの目に留まって情報が寄せられることも願って書いている。
 
私が初めて短歌会のことを知ったのは1984年である。山口堯二先生と島津忠夫先生がいらして、源氏物語や和歌を専攻する学生が格調高い歌を詠んでいた。私の記憶違いでなければ(私自身は面識のない)田中裕先生も短歌会に関わっておられたと聞いたので、設立の時期はかなり溯るだろう。国文学専攻の学生が、実作を通じて学問を深めるために集う会という印象があった。
短歌会の古風で雅な歌風は、80年代前半に島津忠夫先生を慕うやんちゃな学生が大勢参加したことで、終焉を迎えることになる。『サラダ記念日』がベストセラーとなり、口語体短歌が一気に広まった時期である。島津先生は「俵万智は短歌をわかってああ詠んでるけど、みんなの歌は滅茶苦茶や」と仰っていた。短歌会の歌風は80年代に格調派から滅茶苦茶派に変化したのである。山口先生が次第にお見えにならなくなったのを、私は島津先生と交代されたのだと理解していたが、あまりの滅茶苦茶な歌風に耐えられなくなってしまわれたのかもしれない。
 
 
『サラダ記念日』みたいと言われるのが嫌で意地になって読んでいなかったが、今年2月にKindleで購入。いまなら先生の仰っていたことが理解できる(遅すぎ)。
 
短歌会は月1回、池田の文化会館などで行われた。各自2首提出し、担当者が無記名で詠草集を作る。会場で詠草集を見て投票し、票数の多いものから投票した人が投票理由などを話し、島津先生の解説、作者が名乗り出るという方法で行われた。
メンバーはほとんど国文学専攻の学部生と院生だったが、人間科学部と工学部からも1名ずつ参加者がいた。
島津先生は日本歌人に所属しておられたので、日本歌人からHさんがよく加わられた。もう一人、Hさんと一緒に日本歌人の男性が何度か来られた。また一度、Hさんが“塚本邦雄隠し球”だという同年代くらいの男性を連れてこられたこともあった。Hさん以外は名前を覚えていない。若い方の男性が暑い日でもロングコートを着ていたのだけは覚えている。
短歌会からはたしか早世されたKさんが日本歌人に参加しておられたと思う(私も声をかけて頂いたことがあるが、アルバイトと奨学金で大学に通っていたので短歌結社に参加する時間的・経済的余裕がなかった。当時はそのうち就職して余裕ができたらとも思っていて、まさかこの年になってもあの頃と同じくらいか、あの頃以上に時間的・経済的余裕がない人生を送っているとは思わなかった)。
いま思うと、私たちの滅茶苦茶な短歌について、島津先生が和歌史と現代短歌の知識を踏まえて批評してくださるという、目眩がするような贅沢な体験を毎月していたわけである。
 
あのころ参加者の中には短歌会そのものより終了後の飲み会を楽しみにしていた者もいたのではないだろうか。私たちのいきつけは阪大坂の途中にできた、今はなき「すしよし」だった。島津先生が吉四六をボトルキープしておられ、まずビールで乾杯して焼酎という流れだった。
 
私はここで初めて、当時まだ珍しかったカリフォルニアロールを食べた。毎回必ず注文したが、食べられないことも多かった。アボカドが簡単には手に入らない時代だったのだ。
飲み会が盛り上がってくると、すしよしの主人は毎回「カラオケあります」と言って寿司桶を見せるという寒いギャグを飛ばし、酔いが回っている者は大笑いし、まだ酔っていない者は苦笑するのだった。
 
年に1回、短歌会の会員の詠草をまとめた小冊子を出した。『風輪』というタイトルだった。これを見れば短歌会のことがもっといろいろわかると思うのだが、黒歴史としてどこかに封印したまま見つからない(見つけたら加筆します)。
 
島津先生が退官され武庫川女子大学に移られたころからは、天野文雄先生も来て下さっていた。90年代に入ると私は何故か短歌が詠めなくなり、短歌会からも次第に足が遠のいてしまった上、93年に出産して外出がままならなくなったので、このころからの短歌会の情報が途絶えている。
大阪大学短歌会”がいつ活動休止状態になったのかわからないが、私たちの世代にあまりにも強烈なメンバーが多かったため、上手く後輩が続かなかったのだろうと、さまざまなことが思い出される。
 
島津忠夫先生の晩年、同窓会のように年に数回短歌会を開いていた。自分たちとは別に“大阪大学短歌会”が存在することを知り、この集まりを“風輪会”と呼ぶことにした。命名は、島津先生による。

新年に決めたことなど

あけましておめでとうございます

 

昨年は金銭面でえらい目に遭いました(まだ続いてますが)。近況報告 - 固窮庵雑録に書いたように、コロナ禍の初期に大学の授業がなくなり収入が途絶えると思った私は、ビギナーズラックで増えた株を換金したのですが、これが収入と見なされ、国民健康保険を月7万数千円支払うことになりました。

私の非常勤のコマ数は前期・後期平均して週8です。1コマあたり月2万数千円ですので税金、年金、家賃にこの国保料だと生活できません。市役所で相談し、総額を払えるまでギリギリ払えそうな額を毎月延々と払うことになりました。

……なんなん、これ。

すっかり勤労意欲なくなったし、なんなら一瞬生きる意欲なくなってくらくらしたので缶コーヒー飲んで気持ちを落ち着かせてから帰宅した……

というわけで、この先使わないだろうけどセンチメンタルな気分になって手放せなかった貴金属を換金し、ミニマリストにまた一歩近づきました。

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さて、ここ数年の私の課題は、いかにして研究や著作の時間を作るかということでした。試したのは以下のようなことです。

  1. 電車の中で仕事をする
  2. 非常勤の終了後、カフェで仕事をする
  3. 中食する
  4. 外食する

1つめ、神戸方面から新快速に乗って京都・滋賀にまで出かける私は500円払ってAシートを利用するなどしたのですが、酔いやすい体質なので書き物は無理でした。GOTOを利用して京都方面のホテルに泊まってみたとき感動的にリフレッシュできたので、疲れが溜まってきたらまたホテルに泊まりたいです。観光もしたいし。宿泊代がかさんで何のために働いているのかわからなくなってきたら、そのときが非常勤の辞めどきだと思っています。

 

2つめ、授業が終わって帰宅したらぐったりしてしまい、夕食後もダラダラ過ごしがちだったので、同じ境遇なのにバリバリ仕事をしておられる専業非常勤の先生方がよくカフェを利用しているのを真似してみました。なかなかよかったのですが、コロナ禍でカフェが利用しにくくなりました。これはどうしようもないかなあ。

ちなみに私は非常勤先で採点したり書類を書いたりは長年、控え室で済ませてきました。試験も当日に成績を提出して帰宅、書類もクラウドに保存しておいた前年度のものに手を加えて当日作成を基本としていました。いまは試験はともかく、書類に関してはコロナ禍をきっかけにメールになり、大学名なしの「教務課」からバンバン着信したりするので混乱状態になっています。出だしに大学名を名乗ってほしい……たぶん専業非常勤には「授業アンケートの実施について」とかいうメールが一気に5校から来るなんてことを想像してないんだろうけど。

 

3つめ、かつての私は味噌と梅干しまで自分で作る自炊派でしたが、5、6年前にお総菜や冷凍食品を買うことを自分に許し、2、3年前に外食を解禁しました。思ったほど食費に影響しなかったです。なにより、自炊の頻度を減らすと体力が温存されるのが素晴らしい。

帰宅が遅い日やスーパーに寄るのもしんどい日のためにニップンのよくばりシリーズ をいくつか買いだめしています。帰宅してすぐレンジにかけると、洗濯物を取り入れて郵便物をチェックしたころには食べられます。味は、私が利用するスーパーの総菜と同じくらいかそれよりおいしいといったところです。

 

4つめ、これは2と重なりますが、私はサイゼリヤが好きで、ドリンクバーを頼んで食後にティラミスをいただきながら仕事ができるのがよかったです。これもコロナ禍で難しくなりましたが。

 

3と4ですが、私の料理は味付けがかなり薄味で、お総菜や冷凍食品、外食もたまになら楽しくておいしいのですが、週に2回以上になるとちょっと辛くなり、猛烈に自分の作ったものが食べたくなります。塩分も気になるし。

今年は自炊したとき多めに作って冷凍しておくようにしたいと思います。すでに切り干し大根やひじきを炊いたときは小分けして冷凍しているのですが、自家製の冷凍食品はニップンの冷凍食品のように長持ちしないのが悩みどころです。

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というわけで私の場合、時間を生み出す方法として、移動時間を減らすことと、衣食住のうち食に掛ける手間を省くことばかり考えてきました。

しかし今年はもう1つ、Twitterにかける時間?を減らそうと思っています。

もともと私は、人に思われているほどTwitterを利用していませんでした。TLも自分が何か呟いたときしか見ていません。通知もとうに切っているし、フォロワー数にも興味がないので知りません。たまにバズってますが、バズるのはあまり自分らしくない、自分で好きでもないツイートがほとんどなので、「与元九書」で新楽府のような渾身の作ではなく長恨歌のような作がバズっているのを嘆く白居易に共感しています。

しかし友人に「忙しいわりにはマメに返信してるよね」と言われて気がつきました。呟いたときには「@ツイート」をチェックするのが習慣になっていて、まるで仕事みたいになっていたのです。昨今のTwitterは楽しくやりとりしているつもりでもどこに炎上のネタがあるかわかりません。私はこれまで炎上したことがありませんが、それは運が良かったのと(仮にこのブログをネタに炎上させることも可能でしょう)、私なりに気を遣っていたからだと思います。その気を遣っている部分がまるで仕事のようで、時間はさほどかからなくても精神的には消耗していたのに気付きました。@ツイートはとても有り難いし、たぶんこれからも見ると思うのですが、見る頻度は減らすつもりです。

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新しい年になりましたが、令和3年度はまだ終わっていません。

今年度中にしたいこと、というか絶対にしないといけないことは、

  1. いま執筆中の共著を仕上げる
  2. 論文1本書く

令和4年中にしたいことは

  1. あの本1を仕上げる
  2. あの本2を仕上げる
  3. (あの本3の仕事をしないといけなくなるかも…)
  4. 論文1本書く
  5. 資料紹介1本書く
  6. 短歌の連作に挑戦する
  7. 中国語の勉強を本格的に再開する

です。がんばるという気合いだけでは無理なので、仕事をする環境と仕組みを作っていきます。

日下古文書研究会の『くさか史風』

地域に残された古文書を読むのが、ちょっとしたブームになっている。くずし字ブームと相俟って、公民館などで退職後の人生のテーマとして古文書読解に取り組む人が少なくないという。

そうした中でも、日下古文書研究会は、素晴らしい成果を挙げている団体であると思う。その仕事は多くの書籍として発表されていて、現在河内の漢詩を読んでいる私にとっても必読の文献になっている。興味をお持ちの方はぜひサイトをご覧頂きたい。

日下古文書研究会

コロナ禍で公民館なども利用しにくくなり、サークル活動などが停滞しているところも多いが、変わりなく会報『くさか史風』を恵贈いただいた。インターネットを利用して活動を続けているという。

 

その最新号である第8号は新調された太鼓台のカラー写真の表紙。楽しみにしていた生駒山人の連載がなくなったのは残念だが、盛りだくさんの内容である。

天野忠幸「戦国時代の深野池・新開池でのおもてなし」は、かつての深野池・新開池では屋形船を浮かべ、料理専用の船が新鮮な料理を振る舞う接待が行われていたことを本願寺証如や宣教師の例を挙げて紹介している。

大和川付け替えや新田開発によって水利は現在とかなり異なっていること、現在のイメージで捉えてはいけないことを実感させられるが、佐々木拓哉「『深野新田周辺川堤絵図』について」はその水利の変化が人々にどのような影響を与えたかを教えてくれる。

浜田昭子「『日下村森家日記』にみる江戸時代の暮らし 額田村馬方馬荷奪い取り事件」「村方文書に見る近世の村社会の人間模様」は江戸時代の人々の生の暮らしが窺える。また、「天誅組騒動―十津川郷今西村文書『大和義挙の事跡』より―」は河内の人たちも天誅組に関わったことを述べており、当地の人々が国学を学んだことと考え合わせて興味深い。

西村元一「多田の開帳」は森長右衛門の記録から、多田院(現在の川西市多田神社)の開帳を見に行く小旅行を紹介している。

 

コロナ禍の中でも会報をたゆまず刊行されて第8号、『くさか史風』は早や10号の王手がかかっている。