「鯛の鯛」の短歌

角川『短歌』9月号第557回角川歌壇にメバルの「鯛の鯛」について詠んだ歌が載っていた。

メバルにも「鯛の鯛」あることを知り煮付けの鰭の奧処をほぐす

新潟県 柳村光寛

辰巳泰子選では特選、生沼義朗選でも佳作の一首目にある。

特選の選後評には

骨までしゃぶって平らげたい、深く知りたいというマニアックな愛。古語「おくが」も、よく収まっている。

とある。

鯛の鯛」とは、エラの奥にある魚の形をした骨である。Wikipediaによると「硬骨魚の肩帯の骨の一部であり、肩甲骨と烏口骨が繋がった状態のもの」で「基本的にほとんどの硬骨魚に存在する」。肩甲骨が魚の形の頭の部分で、ここにある穴が、ちょうど魚の目のように見える。焼き魚より、身がほろほろと離れてくれる煮付けの方が比較的とりやすいが、肩甲骨と烏口骨の部分が外れやすく、鯛の形を保ったまま取るのは難しい。それだけに、取れたときはうれしい。縁起物として集める人もいるらしい。

ところで、作者は「メバルにも『鯛の鯛』あることを知り」と詠んでいるが、いつどこで知ったのだろうか。5ヶ月前の『短歌』4月号第552回角川歌壇、小黒世茂選の特選に

鯛の鯛めばるのめばる幸運に変わりはあらず一人の食事

兵庫県 桝田法子

という歌がある(桝田法子というのは私が短歌を詠むときに使っている名前である)。角川歌壇では、投稿した作品が掲載されるのは4ヶ月後だ。時期的に、柳村光寛さんはこの拙詠を見たのではないだろうか。

私が詠んだ鯛の鯛、めばるのめばるという表現のバトンを、誰かが繋いでくれた――もしそうだとすると、こんなにうれしいことはない。こういうことは初めてで、「鯛の鯛……」は私にとって記念碑的な歌ということになる。

鯛の鯛」の歌は、もともと連作の最後の一首で、最初の一首は

青春と呼ばれる季節を見送りぬタケノコメバルの潤んだ瞳

なのだが、これはもちろん『おくのほそ道』の

行く春や鳥啼き魚の目は涙

という表現のバトンを受けて詠んだものである。

『短歌』9月号の久我田鶴子選の佳作の一首目には、同じ作者、柳村さんの

佐渡沖で一日メバル釣るわれは皺の奥まで早日焼けする

という歌があり、メバルは釣果だったことがわかる。釣りをする人なのだ。

文学作品、とりわけ韻文を読む楽しみとして、私は典拠というものを重視している。時空を越えて同じ表現が用いられることで、星座のように作品の世界が広がっていく楽しみ。遙かな時を経て古典から受け継がれているものもあれば、同時代に場所を越えて広がっていくものもある。鯛の鯛という表現が、阪神間のスーパーでタケノコメバルを買った私と、新潟で釣りを楽しむ作者を繋いでくれたのである。

(違っていたらどうしよう……)

 

↓袷を質に入れて初松魚を買うという表現の広がりを追った論文です

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