六人部是香「向日山を称賛せる歌」

富永屋から六人部是香の長歌が記された額が出てきたというので、翻字して本日11月28日説明会を行った。
 

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六人部是香扁額


【翻字】
称讃於向日山歌並短謌」美濃守六人部宿禰是香」
朝附日むかひの山は」
日のたての春野のとけみ」をちこちに雉子妻よひ」
日のぬきの夏山しけみ」こちこちに水鶏友よひ」
影面の月をさやけみ」おほほしき心もそるけ」
外面の真雪をきよみ」いふかしき思いもおきぬ」
ますかかみむかひの山は」
年のたにをれともあかす」月ことに見れともあかす」
千年とししかそ栄えむ」万世にかくはさかえむ」
かきり知らずも」
月々のかはるまにまにむかひ山目にも耳にもあかれやはする
【試訳】
向日山を称賛する歌 并に短歌
美濃守六人部宿禰是香 

向日山(向日町)の東側の野原は、春になると長閑で、あちこちでキジが妻を呼んで鳴いている。

西側の山は、夏になると木々の葉がしげって、あちこちでクイナが友を呼んで鳴いている。

南側は、(秋になると)月が清らかで、塞いだ心もなくなるようだ

北側は、(冬になると)雪が清らかで、もっと見ていたい気持ちになる。

向日山(向日町)は
何年住んでいても飽きることがないし、
何ヶ月見ていても飽きることがない。
千年もこのように栄えていくだろう、
何代もこうやって栄えていくだろうことは、
かぎり知れない。

月が変わるままに向日山(向日町)も変わっていく
見ても聞いても飽きることがあるだろうか、いや飽きることなどないのだ。 
出だしが明らかに万葉集にある人麻呂の旋頭歌、
  朝月日向かひの山に月立てり見ゆ遠妻を持てらむ人し見つつ偲はむ
を踏まえているように、国学者らしく万葉調の歌である。人麻呂の言う「向かひの山」が文字通り向かい側にある山という意味なのに対して、是香は向日町を意味する言葉として使っているのだろう。
東西南北と春夏秋冬で緊密に構成した空間の広がりと、未来に向けての時間の広がりが感じられる大きな歌である。
 
佐佐木信綱(一八七二~一九六三)は『歌学論叢』において六人部是香に一章を割き、その長歌を高く評価しているが、さすがである。六人部是香は現在では平田篤胤の高弟として知られているが、その歌も見直されて良いのではないだろうか。この歌は国学者臭さのまったくない、郷土愛に満ちたものだ。
 
この額が富永屋から出てきたことは、六人部是香は富永屋で歌会をしていたという向日神社宮司さんの発言を裏付けるものだといえる。富永屋は単なる宿泊施設ではなく、サロンとして機能していたのである。富永屋の当主、甚右衛門は六人部是香の下で和歌を学んでいたから、師の是香の額が出てくるのも自然なことである。会場を提供してくれる弟子に対するお礼だったのかも知れない。この額の下で向日町の人々、また西国街道で向日町にやってきた人々が歌会を楽しんでいたことを想像すると、実に楽しい。