Excelってこういうものだったのか!

日常的に使いこなしている人にはアホらしくて呆れられそうなのですが、反面、私のような人も多いのではないかと思います、Excelってどういうものなのかわかっていませんでした。

わからないなりに使ってはいました。送られてくるExcelに指示されるまま何かを入力したり、自分では住所録などの表を作ったりです。それで別に何も困っていなかったんですよね。

試験の採点もそうです。遠隔授業になる前はすべての授業で紙の答案を赤ペンで採点していて、成績表も紙がほとんどでしたので、紙の現物ですべての作業を行っていました。特に難しい計算はありませんし、私は暗算がわりと苦にならなくて紙に部分点を書いているその場で合計点が出てくるので、わざわざパソコンを立ち上げる必要はなかったのです。

それが今学期、採点にExcelを使ってみようと思い付きました。というのも、複数の分野毎の集計をシラバスに記されたそれぞれの割合に配分して合計点を出すという、ちょっと集計がややこしいクラスがあったんです。

 こういうのってExcel使うといいのかも…

過去にExcelで計算したのが家計簿の合計だけという私は思い付きました。

繰り返しますが、日常的に使いこなしている人にはアホらしくて呆れられそうな話です。しかし、同じような人が実はけっこういることを私は(講師控え室などで目撃して)知っています。そこでどのように使ったのかを書いておきます。題して、

 Excelを使ってWebClassの成績を付ける方法

しょぼい……しょぼすぎる……しかし、同じような人のために続けます。

  1. WebClassの「成績」のタブから「成績一覧」をクリックすると一覧表が出てきます(こういうの見ながら、またはプリントアウトして電卓で計算している人を私は知っています……)
  2. 「この表をダウンロード」をクリックし「result.csv」をダウンロードしてください。ダウンロード先は、私の場合それぞれの勤務先のMicrosoft365のOneDriveにしました。うっかり別のクラスで上書きしないようにファイル名も変えておきましょう。
  3. 「result.csv」をクリックするとExcelに先ほどの表が現れます。

Excelで成績を管理しているセンセイが学籍番号や氏名を一つずつ入力しているのを見たことがありますが、csvファイルで一瞬ですから! 4日前に使い方を知った私が言うのも何ですが、とにかく、

 これめんどくさいなあ……と思う作業はだいたいExcelでできます!

これだけ理解するといいです。

  1. Excelは行が数字で列がアルファベット、セルと呼んでいるそれぞれのマス目を「A1」のように表します。
  2. Excelは計算の式を入力したら計算してくれます。
  3. セルの右下の黒い小さい四角にカーソルを合わせて動かすと、Excelは同じ計算を延々繰り返してくれます。

計算の式の表し方はネットを検索するといくらでも出てきますので覚えなくてもいいです。というか使ってるうちに覚えます。

さて採点ですが、WebClassの表をインポートすると行に学生さんの氏名、列に点数が並びます。ふだんの課題、小テスト、最終テストで評価する場合、次のようになります。

  1. ふだんの課題の合計点を出します。たとえば1人目の得点がB2からB15の合計の場合、=SUM(B2:B15) という式で出します。2人目以降は右下にカーソルを合わせると出てきます。
  2. 1の合計点をシラバスに記載した配分に合わせて換算します(そういう式で)。
  3. 同様に、小テストや最終テストも合計点を出して換算します。
  4. 換算したものの合計点を出します(そういう式で)。
  5. 4を四捨五入します(そういう式で)。
  6. 5のセルが秀、優、良、可、不可それぞれに合わせて色が付くようにします(「条件付き書式」で)

ちなみに私は4の集計でミスをしないように、合計点のセルは各合計点毎に色を付けておきました。

細かい調整があっても、そういう式で一瞬で終わります。というかむしろこの細かい調整にExcelの有り難みを感じるかと思います。

 

「そういう式で」というところに具体的な式を入れたり、画像も入れるといいんですが、Excelの使い方のサイトはたくさんあるのでサクッと検索してね!

じゃあなんでこういう記事を書いたんだと言われそうですが、WebClassからExcelにインポートすると成績付け一瞬で終わるよ!と言いたいだけです……

***

Excelの基本的な使い方がわかったのは4日前ですが、すぐ調子に乗る性格なもので昨晩無謀にもこの本を読みました。

VBAというのができると、Excelでもっといろいろなことができるんです。採点関係では、GoogleClassroomには備わっていますがWebClassにはない「文章の類似度判定」ができます。「バーコードリーダーで書籍連続読み取りツールを作ろう」は参考文献リストを作るのが捗りそう。私と同じく文系の研究者向けでは、「手書き文字の判定・画像の学習」が史料の書き手の特定に応用できそうですし、夏目漱石の「こころ」を形態素解析してExcelにツリーマップで表すなどということも。

対象読者は「ExcelのマクロあるいはVBAの初歩がわかるかた」ということらしいのですが、VBAについては第1章で詳しく説明されているので、4日前にExcel使えるようになった私でも大丈夫でした。

というわけでこれからの事務仕事と研究にExcelを使っていこうと思います。

中村健史『雪を聴く 中世文学とその表現』

中村健史氏から『雪を聴く 中世文学とその表現』をご恵贈頂きました。

中村氏の研究に対する姿勢は、帯に記された「実証的研究の成果」の「実証的」に尽きます。京都大学日野龍夫先生は自分たちの研究に対する姿勢を「クソ実証主義」と仰っていましたが、私たち国文学の研究者は、特に関西の大学では、地べたを這うようにコツコツと用例を集め、作者の周辺を調べ倒す、そういう地味な、しかし堅実な研究方法をとる傾向があるように思います。

「クソ実証主義」の驥尾に付すわたくしも、演習(ゼミ)で1つの用例を探すために室町時代物語大成を泣きながら3度通読するような鍛えられ方をしてきました。ちなみにパソコンによる検索はおろか、索引も具わっていないものからこのように用例を探すことを我々は「地獄引き」と読んでいました。地獄引きせざるを得ない資料がいまよりずっと多かったのです。

地獄引きは旧時代の、時間がもったいない方法だと思われるかもしれませんが、索引やパソコンでの用例検索に勝る点が2つあります。1つは、作者が見た文脈に近い形で用例を見つけられることです。当然のことですが、作者はピンポイントの検索で語彙を身に付けたのではないからです。用例を、作者が見た文脈の中で見つけることは、その背景に繋がるヒントを得やすいと思います。

また、地獄引きを繰り返すうちになんとなく、用例のありかに鼻が利くようになったり、言葉のセンスが身に付いたりするような気がします。私はパソコンができることは徹底してパソコンにさせる方がいいと考えているので、データベースや検索ソフトの発展は大賛成なのですが、いまでも地獄引きを組み合わせています。自分の脳味噌に研究に不可欠の勘をインストールするには地獄引きしか方法がないからです。

 

中村氏が間違いなく「クソ実証主義」で地獄引きも厭わない方だということは、中世文学に疎い私にもわかります。「伏見院出典歌考」や「世阿弥本『弱法師』と阿那律説話」は漢籍や仏典を縦横に引用して出典を示し、出典による手堅い解釈を示されています。「花園院と「誡太子書」の世界」と「誡太子書箋釈」は、論文とその舞台裏を覗かせてくれるような楽しさがあります。

 

ここでは私の専門の近世漢詩を取りあげている「柏木如亭「即事」詩考」について見てみましょう。

童子を催呼して園蔬を剪らしめ

買ひ得たり重来晩市の魚

衡茆を掃取して客を迎へんと欲し

西窓静かに撿す挿花の書

柏木如亭のこの七言絶句の結句の「挿花の書」を揖斐高氏は「花を挿んである手紙」と注しているのですが、中村氏はこれは「立花の法をといた書物」であると説明するために、 如亭だけでなく江湖詩社の盟主市河寛斎と詩人たち、如亭の友人葛西因是やより若い世代の頼山陽梁川星巌の用例を示しています。怒濤の用例で「立花の法をといた書物」であると納得せざるを得ません。

ここは私も「立花の法をといた書物」説に賛成です。付け加えるなら、袁宏道の『瓶史』、李漁の『閑情偶寄』器玩部制度第1爐瓶にもともに「挿花」の用例があります。如亭の作品には『閑情偶寄』の影響が明らかですが、『瓶史』もおそらく読んでいたのではないかと私は考えています。

さて、中村氏はこの詩について

「即事」はもてなしの詩である。けれども、決して贅沢を求めるわけではない。如亭は「童子を催呼して園蔬を剪らしめ、買ひ得たり重来晩市の魚」、野菜と売れのこりの魚で料理を作ろう、とうたう。描かれるのはごく質素な食物である…

と記しておられますが、私は反対に、これは非常に贅沢なもてなしだと読みました。

というのも、承句の「買ひ得たり重来晩市の魚」は中村氏のいうような「売れのこりの魚」ではないと思うからです。

中村氏は「売れのこりの魚」という解釈の根拠として、市河寛斎の「山家歳暮」に「晩市の枯魚村店の酒、山家も亦た復た自ら春を迎ふ」の用例を挙げています。

「枯魚」は「魚」というより干物ですから、日持ちがします。売れ残りかどうかはこの用例からはわからないのではないでしょうか。

また、「晩市」については、市が一日中開かれていて終わりごろだから売れ残りと解釈されたのかも知れませんが、夕方に開かれる市ではないでしょうか。近代以前は朝市の他に夕市と呼ばれる市が開かれていましたから、一日漁をして夕方に売られる魚は、売れ残りではなく逆に新鮮だったのではないでしょうか。

さらに、起句の「童子を催呼して園蔬を剪らしめ」について、中村氏はあっさりと流しておられますが、承句と時間を空けず行われていたとすれば、客を招く直前に家庭菜園の野菜を収穫するというのも、新鮮さを求めるためではないでしょうか。先に挙げた『閑情偶寄』飲饌部蔬食第1では新鮮であることを最も重んじています。

私は何より江戸っ子は、いくら苦境にあったとしても、客を招くのに閉店間際のスーパーで値引きシールを貼られた魚を買うようなことはしないと思うのです。漁に出ていた船が帰ってきた頃に取れたての魚を買い、直前に野菜を収穫する。如亭はそういう新鮮さの極みで贅沢に客をもてなしたのだと思います。

中村氏は「いかにも文人らしいつつましやかな生活」と記しておられますが、この食における新鮮さの追求は、茶(おそらく煎茶)や挿花と同様に、明清の文人の生活スタイルをなぞった華やかなものであったと思います。

 

と、つい私もクソぶりを発揮してしまいましたが(用例を挙げるのは慎みました)、この、用例を積み上げて解釈していく実証主義が本著の縦糸だとすれば、緯糸は文学に対する愛でしょう(臭いことを言ってすみません)。

「花園院と「誡太子書」の世界」では最後の1文に「ここにはたしかに、文学と呼ぶべき何かがある。」とありますが、その他の論文にも、中村氏の文学に対する気持ちが滲み出ています。「この世に文学は必要か」はストレートにこのテーマで書かれていて、これからの文学研究者はこういうことについて考えて、発信していかなければならないのだなと思った次第です。

コロナ禍での授業について、非常勤講師の立場から

コロナ禍での大学の授業について、1人の非常勤講師の立場から、どのようなことが起きて、どう考えたかを忘れないうちに記録として書いておく。何度も同じ内容を愚痴っているのが自分でも嫌なので、これで書き切って、区切りを付けたいと思う。

身に付けたツールやLMS

非常勤先ごとに授業形式やLMSが違っていた。私はパワーポイントが何とか使える程度の能力しかなかったが、下記の形式で授業することができた。

  • 専門学校その1。学校からの指定で、授業内容のファイルを送信。プリントアウトして学生に送られた。学生は各回の課題を手書きで仕上げ、学校に郵送、担任の先生が取りまとめて自宅に送られてきた。添削して学校に返送という手書きの課題を郵送し合うパターン。担任の先生にはZoomなどの利用を提案した。
  • 専門学校その2。教材を担任の先生を通してファイルで送信、Webexで授業、手書きの課題を郵送し合った。
  • 短大。初めは専門学校と同じ形式、のちGoogleClassroomMeet利用。
  • 大学その1。ZoomTeamsを利用。途中から遠隔・対面が混在する授業になった。後期はLMSがTeamsからWebClassに変更になった。
  • 大学その2。大学独自のLMSを使用とのことで使い方を覚えたが、サーバがダウンして急遽GoogleClassroomとMeetで授業することになった。1コマは90分間すべてMeetで版本を輪読し、もう1コマは音声を付けたパワーポイント、例年配布する形の資料、例年授業で話す内容の音声ファイルをアップし、ラスト30分間Meetを繋いだ。後期は対面でも授業できるようになったが、資料は引き続きGoogleClassroomで管理した。
  • 大学その3。WebClass。同一授業を複数の講師で担当するため、専任の先生が作成した教材をアップ、基礎的な課題の提出とそれを踏まえた課題の提出で週2回課題を採点してコメントを付けた。オンデマンド形式だが、後半はチャットで解説、質問を受け付けた。
  • 大学その4。GoogleClassroomにあらかじめ資料やリンクをアップしてMeetで授業、学生もMeetで授業内発表をしてもらった。

大学その1で早い時期に行われたZoomとTeamsの講習会には非常勤講師も参加できたので、ここでZoomのコンセプトを理解できたのが幸いだった。Zoomが使えればWebexもMeetもほぼ同じことだ。

非常勤先が多いと遠隔授業の方法も様々だが、対応するしかない。これで「パソコンは苦手です」というのが許される時代は完全に終わったと思いながら授業をしていた。もうどんなLMSでやれと言われても授業ができるようになったと思う。

仕事を増やすことになったあれこれ

学生から、授業内容ではなくパソコン関係の質問が連日ハンパない分量届いた。1コマ200通のメールに対応した日もあった。大学側でパソコン関係の質問窓口を作っていなかったか、作っても周知できていなかったのだと思う。キャンパスに来たことのない1年生は、大学での授業担当者と学生の距離感がわからず、高校の感覚で気軽に何でも質問するという面もあるのだろう。

スマホで授業を受けていた学生も多かったが、パソコンとスマホ、同じスマホでもiPhoneとアンドロイドで見える画面が違っている。私はiPhoneを使っているので、アンドロイドで見える画面を確認しろと言われても、困ってしまった。

Zoomがいろいろ改善されたのはそのつど情報が流れてきたが、GoogleClassroomやTeamsやMeetや各大学のLMSも同様のマイナーチェンジが行われていたのではないかと思う。使いやすくなるのは歓迎なのだが、こういったこともパソコンに慣れない学生の質問を増やす原因になっていただろう。

自腹を切ってタダ働き

非常勤講師には、遠隔授業ができるようになるまであれこれ勉強した時間に報酬はない。また、遠隔授業にかかった費用についても支給されない。これについては、遠隔授業で浮いた非常勤講師の交通費を均等に割って、手当として支給できたのではと思い、大いに不満である。

一時は食事を作る時間もなく、出来合いのものをパックのまま胃に流し込み、湯船に浸かる時間もなくシャワーで済ませ、起きている時間のほとんどを授業準備と課題のチェックとメールのやりとりに費やしていた。非常事態で気分が高揚し、ただただ学生に授業を提供しようという使命感に突き動かされていたが、とんでもなく劣悪な労働環境で、よく身体を壊さなかったと思う(確実にガタは来ているだろう)。

 非常勤講師にこういう働き方をさせている一方で、学生には人権を尊重することを学ばせ、正規雇用できるように就職支援している大学って一体なんなんだと思う。

専任と非常勤の情報のタイムラグ

非常勤講師は大学にとっては外部の人間なので、大学からの情報が届くのが非常に遅い。そのため、ただでさえタイトなスケジュールの中、非常勤はさらにタイトなスケジュールで授業することになった。LMSのマニュアルが届いて来週これで授業をせよというようなことが起きたのである。

大学生がキャンパスに行けなくて不安であったように、非常勤講師もキャンパスで書面にならない情報を得る機会を断たれてしまった。非常勤先に親身になって対応してくれる専任がいたかどうかで、ずいぶん違っていたと思う。

SNSで得られる情報

遠隔授業をどのように行ったらよいのか試行錯誤していた初期のころは、Facebookのコミュニティをよく見たが、この先どうなるかわからない専業非常勤講師は、専任のように機材に投資することが難しいので、一通り授業ができるようになると見なくなった。

機材に投資することによって、より便利で快適に遠隔授業を行えることはわかるが、来年度の契約がどうなるかわからない身では、できるだけ自腹を切るのは避けたかった。遠隔授業を行いながら、コロナ禍が終わってもこういうスタイルの授業は残って非常勤は減らされるだろうと予想していたからだ。

Twitterでは情報交換というより、遠隔授業をする非常勤同士、励まし合っているという感じだった。一人ではないということがわかって心の支えになった。

遠隔授業が軌道に乗ったころには、Twitterに対面授業を希望する学生さんのタグもできた。学生さんが対面授業に何を望んでいるかを知って遠隔授業の参考にしようと思い、ある程度読んでいたが、対面授業を希望する保護者と称する人物の1人が、嫌なら辞めろとか、非常勤講師に代わりはいくらでもいるとかエアリプするので、ほとほと嫌になった。私は母親としては子供には可能な限り引き籠もって安全に過ごしてほしいので、最初のうちは対面授業をせよという母親たちが実在するのが信じられず、なんらかの目的を持ったなりすましではと思っていたが、そのうち1人は本当に保護者で特定できてしまった。

Twitterのタグをしばらく追ってみて、対面授業を求める学生さんは、一部の実習などを除いては、授業そのものには必ずしも対面を求めているのではない印象を持った。保護者の方も、いつも通り満員電車で通勤しなくてはならない鬱憤を晴らしたかったり、学費に見合った授業ではないこと(親の目から見て)に対する不満があったりすることから、対面授業を主張しているように思われた(同情するが、それで我が子を危険にさらすのは理解できない)。

自分が授業を担当している学生(とその保護者)以外の意見をわざわざ見て消耗する必要はないと思うようになったのと、アンケートや実際に話をした範囲では遠隔授業の方が支持されていたのと(学生と講師という立場を差し引いて、である。そういうことがわからないほどナイーブではない)、そもそも私がいくらこの問題を考えても遠隔・対面をどうするかを決める力が非常勤にはないのとで、対面を希望するタグは見なくなった。

対面授業再開に対する不安

前期の途中から対面授業・遠隔対面混成授業になったが、遠隔・対面の両方で授業を行うのは、かなり難しかった。Zoomの向こうの学生にチャットなどで対応していると目の前の学生への注意がどうしてもおろそかになるし、その逆もある。後期は事務の人が授業に入ってサポートしてくれたので助かった。画面の向こうの学生と目の前の学生両方に気を配って授業をするという、遠隔授業と対面授業を1人で同時に行う能力は、ヒトには備わっていないと思う。

対面授業の再開は各大学一斉にというわけではなかったので、同じ日に2校以上掛け持ちしている非常勤講師は授業ができなくなることもあった。他校の遠隔授業を空き教室でするというのはやはり無理のようだ(こっそり授業していて中断しないといけなくなると困るので問い合わせた)。私は遠隔授業が終了するとすぐ駅まで走り、電車の中で昼ご飯のカロリーメイトを食べて対面授業をするという生活になった。カラオケボックスなどを利用した人もいたと聞く。もちろん自腹だ。

しかしなにより恐ろしかったのは感染すること、ウイルスを大学間で持ち運んで感染者を増やすことだった。感染したらどうしたらいいか、学生向きの情報があっても非常勤講師向きの情報がある大学はなかった。収入面でも不安だし、初期のころは感染者が特定できるくらい報道されたので、社会的に死にそうなのも不安だった。

感染を防ぐため、帰宅したら玄関でスマホなどをアルコール消毒するのはもちろん、着ているものを即脱いで洗濯機に入れ、シャワーを浴びていた(私はふだん着物を着ているので、ガンガン洗濯できる洋服を購入するのに出費がかさんだ)。ここまで感染しないように気を付けているのだから、罹っても自分には責任がないと開き直っていた。

専業非常勤の今後

令和2年度の前期は、突然の事態で1番の被害者は学生だ、少しでも不安を感じないで済むようにしてあげたい、と思い、メールにもできるだけすぐ返信していた。その結果、朝8時から夜中の2時まで絶え間なくメールの対応をしていた。

24時間常に仕事中の感覚で気持ちも休まらなかったので、後期はメールを巡回する時間を決め、学生にも伝えた。

遠隔授業をしながら思ったのは、コロナ禍が収まっても遠隔授業のスタイルは一部採用され、授業1クラス当たりの学生数を増やして授業自体は減らされるだろう、そうなると非常勤講師から切られるということだ。この流れは避けられないだろう。

実際にはどういう理由でかわからないが、非常勤の契約を切られたという同業者の声を今年は例年より多く耳にする。

非常勤講師の立場からすれば、令和2年度は文字通り命を削ってかなりの部分を無償で働いたわけだ。それなのに、何の手当もないばかりか、次年度の契約打ち切りというのはあまりにも酷いと思う。同業者仲間には組合を通して交渉している人もいるし、すっかり元気を失ってしまい、心配な人もいる。

私も3コマ切られたが、大学の合併によるものなので(私は吸収される側に雇われていた)戦っても勝てないと思うのと、非常勤のコマ数を減らしたかったので、受け入れている。

今後は、非常勤講師のコマを得るのが今よりも更に大変になると思う。ただ、遠隔授業のスキルを身に付けたことは役に立つだろう。同程度の授業ができる非常勤講師がいたとすれば、私を雇う方がいい。遠隔授業への対応という点では何の心配もないからだ。

また、非常勤ではなくYouTube等を使って講義をし、収入を得ることも考えてみる価値があると思う。

牛を詠む

 

遅遅塵外步  遅遅 塵外に歩み

雙角不堪勤  双角 勤むるに堪えず

拂盡蒼蠅去  蒼蝿を払い尽くし去り

反芻唐宋文  反芻す唐宋の文

 

 トロクサクッテ世間ヲ知ラズ

 角ハアレドモ使ハレズ

 ウルサイ蠅ドモ追ヒ払ヒ

 古人ノ文ヲ今日モ読ム

 

旧正月辺りに詠みました。十二支を全部詠みたいと思いました。去年も詠めばよかった。

近況報告

ぐずぐずしているうちにお正月も、旧正月も過ぎてしまいました。

昨日、業界用語で言うところの「採点の祭典」が終了し、清々しい気持ちでPCに向かっております。

 

今年度は突然の遠隔授業の対応で非常勤講師という働き方がほとほと嫌になり、やっと迎えた夏休みにぐったりしながらもう辞めようと決心しました。

近況報告 - 固窮庵雑録

↑とはいえ私も大人ですから、いきなり辞めて食べていけなくなると困るから1コマずつ様子を見て減らしていこう~などと思っておりましたら、1月も半ばになって某大学から来年3コマ減るという知らせが来ました。

 

いきなり減りすぎやろ!

 

まあ今までが無理すぎたので(週に大学10コマ、前期は専門学校5コマもプラスと書き物の仕事少し)、しばらく書き物の仕事に専念しようと思います。

 

大学以外では、隔月第2火曜日に長岡京市で「唐詩選を読む会」というのを続けています。

服部南郭の『唐詩選国字解』で唐詩選の七言絶句を読む、というのが建前で、脱線が本番みたいな気楽な会です。前回の脱線は、司馬相如が今で言う糖尿病だったというところから『金匱要略』などの漢方の世界も覗いてみました。

1回2時間くらいで投げ銭1000円です。興味のある方はお気軽にどうぞ。

codh.rois.ac.jp

 

 

 

地域の文学として 漢詩を取り戻すために

*この文章は、日曜日の講座でお話した内容の一部です。

 

役に立たないと叩かれっぱなしの古典文学ですが、まちおこしでは大活躍しています。作家に縁のある土地で記念館があったり、文学作品の舞台として“聖地巡礼”するファンがいたり。関西にはそういう古典文学にまつわる地域がたくさんあります。文学を用いたまちおこしに、ぜひ漢文も加えてほしいのです。

例えば地域の歴史を紹介するときに、名所図会の挿絵が用いられることがよくありますが、そこに書き込まれている文学作品にはあまり注意が払われていません。これが漢詩だったりするとほとんど無視されています。それはもったいないと思うのです。

 

漢詩を地域の文学として蘇らせるには、研究者と地元の人の連携が必要だと思います。

もし史料(漢詩の場合は詩稿など)が残っていたら、調査をします。これは研究者の仕事です。史料の調査には専門的な知識や技術が必要だからです。史料の扱いは慎重にしなければいけません。公開となるとなおさらです。こういったことは、研究者倫理が問われる仕事です。

研究者は、その地域にまつわる漢詩について、文学史的にどういう意味があるのか、作品としてどのような価値があるのか、どういう社会情勢を背景に生まれたかなどを考察し、判断します。研究者仲間と情報交換し、学会発表をしたり論文を書いたりして、文学史の中に位置づけます。

 

私はここまでが研究者の仕事だと考えています。研究者がするのは、いわば宅地造成・区画整理です。一つ済んだら次の地域を開拓しにいかなければなりません。

宅地造成が済んだ区画に家を建てて町を作りあげるのは、地元の人たちの仕事です。

地元の人には、地元にまつわる漢詩

  • 読んで、
  • 使って、
  • 伝えて

いってほしいのです。

 

地域の文学として漢詩を取り戻すためには、

  • 作品の選択
  • 作品の普及

この2つが重要な鍵になります。

 

作品の選択については、普遍の価値を持つものを選ぶことが大切になってくるでしょう。

明治以降の漢詩の場合、戦争を礼賛する作品、戦意を高揚させるものがたくさんあります。これらは歴史史料としては重要ですが、地域の文学として伝えていく際には、わざわざ選ぶ必要はないでしょう。

戦争に関連して、朝鮮半島・台湾・沖縄の人々に対して、現代では到底受け入れることのできない表現が出てきます。女性に対する姿勢も同様です。現代の価値観と異なるものをわざわざ引っ張り出してくる必要はありません。

 

つぎは、そうして選んだ作品を広めていきます。たいていの場合、著作権は切れているでしょうから、使い勝手は良いと言えます。みやげものを作るなり、ゆるキャラを作るなり、さまざまな形で親しんでもらえるでしょう。ただ、なんでもやっていいかというと、作者と作品に対する敬意というものは忘れてはならないと思います。御子孫がいらっしゃる場合もあるでしょうから、じゅうぶん気を配ってください。

作品を広めていくのにネックになるのは、漢文に親しんでいる人が少ないことです。そのため、注釈・現代語訳は必要になるでしょう。これは、ぜひ地元の方たちで取り組んでほしいと思います。一生の、やりがいのある仕事になることを保証します。

注釈・現代語訳は必要ですが、それだけでは子供や漢文に興味のない人の心には届きにくいことでしょう。そこで、一つの案として、短歌や俳句や現代詩に翻案することが考えられます。これは江戸時代の人も、俳句を七言絶句に翻案したり、同じテーマで和歌と漢詩を詠んだりして楽しんだものです。地元の短歌や俳句のサークルの方たちも一緒になって取り組んでもらえたら素晴らしいと思います。文学作品にとどまらず、漢詩をイメージした絵画などもいいですね。

 

私は、退職後に文芸を楽しんでいるような方が、地域の漢詩人の作品を広めてくれたらと思っています。短歌や俳句を詠む方にも、漢詩の勉強は言葉の世界を広げる上で役に立つことでしょう。やりがいのある、大きな仕事だと思います。

また、地域の学校の先生方には、総合的な学習の時間に地元の漢詩人をぜひ取りあげていただきたいと思います。

 

*講座では、このあと地域の漢詩人の作品から読み継がれていってほしい作品を紹介しました。

日曜日に公民館で宇田栗園の漢詩についてお話します

長岡京市中央公民館市民企画講座「乙訓地域の歴史や文化を連続講座で鑑賞しよう3」

テーマ「宇田栗園(うだりつえん)の漢詩

内容

神足村で生まれ、医学・漢学を修め岩倉具視とも親しく交際した「宇田栗園」は、乙訓を代表する漢詩人で全国に名を知られた存在でした。

和歌に転じたため今では知られることのない「宇田栗園」の漢詩の世界を紹介します。

 この企画は、「中央公民館 市民企画講座」として、市民の方からご応募いただいたものです。(企画者:鵜野高資さん)

日時

令和2年9月13日(日曜日)午後1時30分から3時30分

場所

長岡京市立中央公民館2階 視聴覚室

講師

新稲 法子(にいな のりこ) さん 【京都西山短期大学佛教大学 非常勤講師】

対象

市内在住・在勤の方

定員

先着18名

参加費

無料

申込方法

8月1日(土)午前11時から電話、ファクス、公民館窓口にて受付開始

http://www.city.nagaokakyo.lg.jp/cmsfiles/contents/0000009/9184/2020072615073926.pdf

 

市内在住・在勤の方が対象なのですが、まだまだ空きがあるそうなので、もしかしたら大丈夫かもしれません。

いままで乙訓の漢詩については何度か講演させてもらったのですが、やはり詩人は作品を読み継がれてこそだと思います。地域の人たちに宇田栗園の漢詩を知ってほしいので、今回は作品をゆっくり読みます。